あれから2年…

2011年3月11日その翌朝
20110312-065920-5133.jpg
EOS40D/ EF-S10-22mm f/3.5-4.5 USM [16mm F7.1 1/1600 ISO400 ±0EV]

あれから2年です。
地震そして津波が来た翌朝に撮った写真ですが、今までは、見るだけで
切ないような何とも言えない気持ちになり、まともに写真を見る事も
出来ませんでしたが、2年経ってようやく現像しました。
でも、現像途中にも、当時を思い出してウルウルしてしまいます。。。
当時撮った写真は12枚。
あまりにも無残な光景に、それ以上、シャッターを切る事が出来なかった事が
昨日のことのように思い出されます。

※写真はクリックすると拡大します。


2011年3月11日その翌朝
20110312-065158-5125.jpg
EOS40D/ EF-S10-22mm f/3.5-4.5 USM [22mm F7.1 1/1000 ISO400 ±0EV]

2011年3月11日その翌朝
20110312-064928-5122.jpg
EOS40D/ EF-S10-22mm f/3.5-4.5 USM [22mm F7.1 1/640 ISO400 ±0EV]

それでも私の処は、殆どが回復して来ました。
未だ倒れたままのフェンスや、閉鎖されたままの建物もありますが
震源に近い場所での、未だ瓦礫の状態や何も無くなり荒涼としてる所
解体もされずそのまま残ってる建物などを、ニュースなどで見ております。
只々、早くの回復を願うばかりです。

2013年3月11日現在
20130307-080010-0947.jpg
K-5Ⅱs/ DA★300mmf/4ED [F5.6 1/1000 ISO160 ±0EV]

こうして、磯で漁が出来るまでになった海。
正直、海の底は、津波により持っていかれたモノが沢山沈んでおります。
大型の船が通る航路は、国費が入り、即座に片付けておりましたが。。。

二年前のこのブログ記事を読み返しても、安否のお気遣いに頂戴した
言葉の数々に、未だに涙が溢れてきます。
人は一人では何も出来ませんが、それでも意思を強く持ち、一人一人が
前に進む努力をしないと、道は拓けないものである事を学んだ震災。
やはり3月11日は、特別な日であります。
気持ちも新たに強くあらねばと、思う次第です(^^

8 thoughts on “あれから2年…

  1. ナイス兄貴

    あの災害からまだ 2年しか経ってないのですね。
    遠く離れたこちらにはニュース以外の情報が入ってこなので、
    現在どうなっているのかぼんやりとしか分からない感じです。
    これから何十年もかかる復旧・復興。
    遠い地から応援しております。

  2. bluem

    ■ナイス兄貴さん
    もう二年かとか、まだ二年かとか、私も実際の刻んだ年月よりも
    その日の事が昨日の事に思い出され、時間経過が意識出来ないです。
    津波、そして原発事故も全く終息しておりませんし、やるべき事は
    たくさんあるのに、いつもの林の国立公園化とか、いい加減にして欲しいですw
    奇跡の一本松という、たった一本の松の木が津波に耐えて残ったのですが
    これの保存のための事業が進んでるのですが、この木の保存のために
    数億円のお金が投入されてます。
    http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/fukkou/ipponmatu/ipponmatu.html
    「やる事、他にいっぱいあるだろ」というのが正直なトコですね。
    応援の、そういう思う心が大切ですよね(^^
    今年も被災地宮城での仕事も続くので、私もがんばります。

  3. pattan

    扉の写真を見ると、思い出して胸が痛みます。
    先月、仕事で福島に行く機会があったのですが、除染が全然進んでいなくて
    人影も少なく、悲しくなりました。東京では3月11日前後だけはいろんなニュースはやっても
    普段はずいぶん遠い記憶になってると思います。
    まだまだ早くやらなくてはいけない事がたくさんあるのにw
    被災地を置き去りにしては、日本は進んでいけないですよね。
    私自身も、あの日は衝撃が大きくて、いろんな事を学んだ日だと
    思っています。そうそう、あの松について。
    我が家の盆栽好きの父は、「一度塩をかぶった松は、もう元にはもどらん」って
    言っておりますww

  4. bluem

    ■pattanさん
    pattanさんは、震災後も福島に行かれてましたよね。
    除染と言っても目に見えるもの全てが対象で、その処分先も決まっておらず
    人が居ない処はゴーストタウンのようで。。。只々胸が痛みます。
    ホント、やる事はいっぱいありますよね。
    この松。
    樹脂で固めて、完全に死んでるんです。
    赤松は腐り易く、且つ虫が付き易いので、それで腐らないように処理してるのですが
    そのために数億円の義援金や税金が使われてるのって、変ですよね。
    完全に観光名物にしようというのが見え見えですし。
    木が生きてるうちに遺伝子残して、松ボックリをその辺に撒いて
    子供の松が自然に育つようにすれば良いのにって、思ってましたw

  5. Jerry

    もう2年ですね。
    直接会ったことも話したこともないbluemさんですが、
    あの時は心底心配しましたよ(^^
    この写真を拝見しても、被災地の近くにお住まいのよう
    ですので、今までもこれからも大変な事が続くのでしょうが・・・
    遠くから応援しています!
    一本松の話は昨日のサンデーモーニングで見ましたが、
    市長さんが「唯一希望の持てる存在であった松」と言ってあったのが印象的でした。
    JAXAをはじめ日本中のあらゆる技術と相当の金を注ぎ込んでいるようですね。
    必要なことの一つなのかもしれませんが、
    優先事項として「他にやることがあるだろっ」て私も思います。
    24分の1のレプリカとかじゃダメなのかなw

  6. bluem

    ■Jerryさん
    当時は御心配頂戴しまして、改めて御礼申し上げます(^^
    もう二年。。。確かに昨日の事のように思い出しますが、二年も
    経ったんですよね。
    私のトコは津波からの復興も良いのですが、震源に近いほど
    あるいは福島原発の辺りは、全く状況が変わってないので
    松に数億円掛けてる場合じゃないと思いますよね。
    それに、いつもの林も国立公園化のために、ツルンツルンにされましたし
    やっぱどっか間違ってますw
    ちなみにですね。
    宮城県は国費が投入されて建設ラッシュ。
    人手も足りず、建設物価も上昇し、バブル期のようになってまして、宿泊施設も
    取れない状況な程、人が入ってるのですが、おかげで仙台市の飲み屋街は、一年間で
    10年分売り上げたそうです。。。
    1/24だと、タミヤが作っても良いようなww

  7. teltel

    こんばんは。
    そう、今日で2年なんですね。
    姪っ子が被災地にボランティアで3週間くらい行ってきて、
    「何にも役には立てなかったけど、もう一度行きたい」
    と言っていたのを思い出しました。
    この災害を風化させないように、私も心して過ごしたいと
    今日のbluemさんの記事を読んで切に思いました。

  8. bluem

    ■teltelさん
    「もう一度行きたい」と思う気持ちは、本当に嬉しいですね(^^
    実際に、人々の財産であったものが、瓦礫と称され、うずたかく
    積まれ、広大な更地が、本来は多くの人々の生活の場であった事など
    考えさせられる事ばかりですが、援助や応援など、人の温かさを知った
    出来事でもありました。
    情報化社会で、一日に色んな情報が瞬時に手に入り、情報の鮮度も
    短い時間でしかなくなってる今ですが、人の心は一生ですよね(^^
    震災を経て、自分も少しは強くなれたかな?
    と思っております。

コメントは停止中です。